1985年9月、アメリカのニューヨークにあるプラザホテルで行われたG5で発表された、為替レート安定化に関する合意のこと。
合意の中身は、双子の赤字を抱えるアメリカの国際収支の健全化のため、ドル安に誘導するというものだった。具体的には「基軸通貨である米ドルに対して、参加各国の通貨を一律10%~12%切り上げる」というものだった。その結果、日本円は発表翌日に235円台から20円も円高に推移し、1年後には150円台という超円高となった。
対する日本当局は、公定歩合を据え置きにし、無担保コールレートを2ポイントほど高めに誘導することで対処し、翌年に公定歩合を引き下げた。これによりインフレは避けられたが、名目金利が低下したことで投機筋の市場参加が増え、バブル景気へつながっていく。
プラザ合意によってドル安が進み、アメリカ市場は安定したかに見えたが、今度はドル安に歯止めがかからなくなり、2年後の1987年にパリでG7が開催され、各国が協調介入するルーブル合意が結ばれた。
プラザ合意の意義は、為替レートが実質価格から乖離した場合、各国が協調介入を行うことを知らしめた点で、その後の金融市場のベクトルを方向づけたといえる。