1971年7月の、アメリカ大統領リチャード・ニクソンの訪中発表による外交転換と、同年8月のドルの金兌換停止の2つの政策転換をいい、一般的には後者をニクソンショック、またはドルショックという。
ニクソン大統領は、各国との事前調整はおろか、アメリカ議会にも知らせておらず、そのインパクトは非常に大きかった。
ドルの金兌換停止は、それまでのブレトンウッズ体制の崩壊を意味し、ニクソンの声明発表を受け、欧州の主要為替市場が1週間閉鎖されるなど、各国の為替相場は混乱をきたした。ほとんどの主要通貨は、ドルに対する切り上げが行われ、なかでも日本は16.88%の切り上げとなり、当初は固定相場の維持に努めた(スミソニアン体制)が、1973年に変動相場制への移行を余儀なくされた。その後、欧州各国も変動相場制へ移行し、スミソニアン体制はあっという間に崩壊した。
当時のアメリカは、ベトナム戦争などの軍事費用がかさみ、大幅な財政赤字を抱えており、大量のドルが海外に流出していた。そのため、アメリカは金の準備量を超えたドル発行をすることになり、ドルと金との交換を保証することができなくなっていたのである。