バブル崩壊以降のデフレについて
日本は、基本的には商業活動が自由な資本主義経済です。
そして、明治維新以降、急速な経済成長を遂げてきました。
第二次世界大戦後、一時的に低迷期もありましたが、その後も、急激な回復、さらなる発展と世界第2位の経済大国となりました。そして迎えたのがバブル景気。
1991年2月まで続いたバブル景気まで、日本の経済は上昇の一途をたどってきたのです。
そして、バブル崩壊。その後は失われた20年とも呼ばれ、デフレとともに、経済的に非常に厳しい20年をすごしてきています。
先ほども書きましたが、日本は資本主義経済です。
資本主義経済は、経済が成長(拡大)し、物やサービスの売れ行きが増大して賃金が上昇、そして物価があがる。程度はともかくとして、インフレ(インフレーション)状態にあるのが健全な状態です。
しかし、バブル時代は行きすぎた経済過熱感が発生し、株や土地などが急激に上昇し、株価は1989年に日経平均38915円を記録。
これはいまだに、日本の株価(日経平均)の最高値となっています。
土地も、東京の山手線内の土地の価格が、アメリカ全土の土地の価格を上回るなど、異常な資産インフレを記録し、不動産や株式などで得た所得から消費も進み、空前の好景気を生み出しました。
しかし、過去のバブル景気同様、行きすぎた好景気はいつかは終わるもの。
日本のバブル景気もついにははじけ、その後の日本は経済の発展(GDPの上昇)はほとんど見られず、いわゆる安売り競争というデフレ(デフレーション)時代が20年続いてきました。
先週のコラムで書きましたが、好景気時には金融引き締め策、また不況時には金融緩和策が行われます。
バブル崩壊の直接のきっかけは、不動産価格の異常な高騰を抑えるために導入された総量規制です。
詳細の説明は省略しますが、不動産への投資が厳しくなり、それにより、土地の高騰が抑えられるというものだったのですが、この総量規制をきっかけに、それまでの好景気が一気に景気下降へと変化していきました。
その後はみなさんもご存じのとおりのデフレ経済です。デフレとはそもそも何でしょうか?
デフレ=デフレーションは物価が持続して下がっていく局面です。
狂牛病騒動で一息つくことにはなりましたが、牛丼の価格戦争、ユニクロなどをはじめとするファストファッション、そして、最近ではLCCといわれる格安航空会社がデフレの象徴ですね。
物価が安くなる。これは、消費者にとっては非常に魅力的なお話です。
物の値段があがる(インフレ)より下がった(デフレ)ほうがいいと感じるのではないでしょうか?
実は、そう簡単なお話ではありません。
技術革新により、今までよりも低コストで、良質なものが提供できるようになり、価格が下がってくるのであれば大歓迎です。
しかし、バブル崩壊後の日本のデフレは、非常に厳しいものでした。
- 物が売れないから価格を下げる
- 技術革新による低コスト化が理由でないため、企業は利益圧縮となる
- 賃金の上昇が抑制される
- さらに消費が伸び悩む
- 1に戻る
いわゆるデフレスパイラル(悪循環)ですね。
これが、バブル崩壊後の日本のデフレです。
まだ賃金の上昇が抑制されるだけならいいのかもしれませんが、実際には賃金カット、リストラ、若年層の就職難など、この20年は非常に厳しく暗い20年となり、失われた20年と呼ばれています。
日本の経済は拡大がとまり、GDPはついに中国に抜かれ、世界2位の座からすべりおちてしまいました。
それにもかかわらず、日銀はバブルを悪だと決めつけ、インフレを極端に恐れてきました。
この20年の間にも、デフレ経済から脱却するチャンスは何度もありました。
しかし、その時々の日銀総裁や理事の方が、インフレを恐れ、金融緩和のアクセルを緩めてしまい、なかなかデフレからの脱却ができませんでした。